有名な動物のオンラインペット霊園
人間の世界で偉人がいるように、ペットの世界にも優れた動物がいます。「ペット愛オンライン霊園」はその動物の偉業を称賛して、その記憶を残したいと思って、有名な動物のために専用のオンライン霊園を作りました。
お気軽に有名な動物のお墓にお参りしませんか?
ハチ公
忠犬ハチ公は日本一有名な犬と言っても過言ではありません。また、リチャード・ギアが出演した映画『HACHI 約束の犬』のおかげで、ハチ公は海外でも知名度が高くて、大変愛されているようです
ハチ公は秋田犬です。名前はハチで、愛称はハチ公です。ハチ公は1923年11月10日に秋田県で生まれました。とてもかわいい子犬だったらしいです。
ハチ公の飼い主は偉い東京大学の教授でした。名前は上野英三郎で、当時は大変重んじられた農学を教える先生でした。しかも、金持ちで、ハチ公を秋田県から 届けてもらって、相当のお金を払いました。若いハチ公の仕事は主人を玄関か渋谷駅まで送って迎えることでした。ハチ公は主人から大変可愛がられていまし た。ハチ公も主人のことが大好きでした。
ところが、ハチ公の主人であった上野教授は脳溢血で死んでしまいました。ハチ公を飼いはじめてから1年半も経ってないころでした。ハチ公は主人の死のこと を知りませんでした。ですから、どうして帰ってこないだろうかと思いながら、渋谷駅で待っていました。主人が死んでから、ハチ公は何回か飼い主が変わりま した。でも、ハチ公はどの飼い主にも馴染めませんでした。結局、ハチ公は植木職人であった小林菊三郎のところに住むようになったが、そこは食事をするだけ で、大体渋谷駅で主人の帰りを待っていました。 今もそうですが、昔は野良犬の扱いは酷いものでした。石を投げたり、足で蹴ったりして苛める人が多かったらしいです。そこで、ハチ公はよく渋谷で痛い目に 会いました。ハチ公の人生はある記者のおかげで変わりました。斎藤弘吉という人は東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」という記事を書いて、ハチ公のことを書きました。その記事のおかげでハチ公は一気に人気タレントになりました。他の新聞でも報道されるようになりました。ハチ公を可愛がる人も増えたし、食べ 物を持ってくれる人も現れました。ハチ公の渋谷の人気者になりました。
面白いことに、ハチ公の銅像はハチ公の生前に出来ました。1934年には渋谷駅前に銅像が設置されて、ハチ公自身もたくさんの有名人も除幕式に参加しました。 ところが、翌年1935年3月にハチ公は死んでしまいました。死因はハチ公が飲み込んだ焼き鳥の串だと思われていましたが、2011年に再び行われた研究の結果によると、死因はフィラリアと癌でした。
死後、ハチ公の本当のお墓は主人と同じ青山霊園にあります。また、ハチ公のオンラインお墓はここ「ペット愛」霊園にあります。いつでもお気軽にお参りください。ハチ公の隣でお墓を作ることもできます。
ハチ公のお墓に
タロとジロ
タロ(1970年7月9日没)とジロ(1960年7月9日没)は南極を観測する時にソリを引っ張るために使われた犬です。その二匹の犬は無残に南極で置いてきぼりにされたが、奇跡的に生き残りました。
タロとジロは兄弟です。1955年10月、稚内市にて風連のクマの子として生まれ、タロ・ジロ・サブロの3兄弟でした。この名前は白瀬矗の南極探検の際、犬ぞりの先導犬として活 躍した樺太犬、タロとジロにちなんでいます。1956年11月にタロ、ジロを含む22頭の樺太犬と共に東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発しまし た。昭和基地に到着すると、19頭の犬たちは、1957年の第1次越冬隊において犬ぞり曳きなどに使役されました。1958年2月に宗谷が南極付近に到着 しました。昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わって越冬するため、宗谷は第2次越冬隊を乗せていました。
しかし、天候の悪化から宗谷は昭和基地には到着できませんでした。昭和基地から帰還する第1次隊員の人間たちでさえ小型雪上機でかろうじて宗谷に帰還する 有様で、15頭の犬は犬ぞりに首輪で昭和基地付近に繋がれたままにされました。その後もぎりぎりまで天候の回復を待ったものの、「宗谷」自体が遭難す る危険性も出てくるに至り、第2次越冬隊の派遣は断念されました。それとともに15頭の犬の救出も見送られ、残された犬達の生存は絶望視されました。7月 には大阪府堺市に15頭を供養する銅像が建立されました。
タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動をもたらして、2頭を称える歌『タロー・ジローのカラフト犬』(しばざきそうすけ作詞、豊田稔作曲)までもが作られ たほどです。さらに日本動物愛護協会によって、当時開業したばかりの東京タワーに15頭の樺太犬記念像(製作者・安藤士(忠犬ハチ公像の彫刻家))が設置 されました。
ジロは1960年7月9日に 第4次越冬中に昭和基地で病死しました。5歳でした。タロはジロより10年も長く生きて、その血を引く子孫の犬が日本各地に散らばっています。
タロとジロのお墓は「ペット愛」霊園にあります。いつでもお気軽にお参りください。タロとジロの隣でお墓を作ることもできます。
タロのお墓に
ジロのお墓に
愛犬ツン
ツンは西郷隆盛のおかげで有名になりました。上野の銅像に西郷と共に立っている犬はツンです。しかし、ツンは元々西郷隆盛の犬ではありませんでした。薩摩で近所だった藤川牧野の前田善兵衛という者の飼い犬でした。ツンは、虎毛、左尾の猟犬で、メスであったといわれています。薩摩犬は、イノシシ狩りが得意でしたが、ツンはウサギ狩りが得意でした。西郷隆盛は藤川牧野に金20貫を払って、ツンを買い取りました。西郷隆盛はツンとよくウサギ狩りに行ったものです。ある時、西郷隆盛は高城の本町(麓)に親しかった福徳さん宅を訪れて、犬を預けて帰ります。それは西郷軍が熊本に進発する前のことであって、この後、西郷は城山で自刃して、ついに犬をつれて帰られることもなく、犬は福徳さん宅で飼われていて、この家で死亡しています。
ツンのお墓は「ペット愛」霊園にあります。西郷隆盛の愛犬だったツンのお墓にお参りしませんか?ツンの隣でお墓を作ることもできます。
ツンのお墓に
ライカ
地球上で初めて宇宙旅行をしたのは、ソビエト連邦が1957年に打ち上げたスプートニク2号に乗せられた犬ライカでした。有人ロケットの実験で、たった一人 でロケットに乗せられて、宇宙空間に飛ばされました。当時は大気圏外からの帰還技術がなくて、ライカはそのまま宇宙の星となりました。宇宙開発になくてはな らない、忘れてはいけない存在です。
1957年11月3日、ライカを乗せたソ連のスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられて、地球軌道に到達しました。スプートニク2号は大 気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊しました。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安 楽死させられた、とされていましたが、実は打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいました。
安らかにお眠り下さい、星空のライカちゃん。
ライカちゃんにお悔やみのメッセージを送りませんか?ライカの隣でお墓を作ることもできます。
ライカのお墓に